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 星座の神話 定説検査(1)

星座の発祥/古代カルデアの羊飼い説



まとめ

星座の起源は、古代メソポタミアに住んでいた「カルデアの羊飼いたちが考案した」と、 多くの書物に記載されています。しかしこれは誤りで、 「紀元前三千年頃から古代メソポタミア地域で徐々に発生した」とすることが適切です。 カルデアの羊飼い説は、野尻抱影氏の著作が情報源となっており、おそらく日本のみで流布されています。


検証・考察

新アッシリア時代の紀元前687年に記された「ムル・アピン」と呼ばれる粘土文書。 惑星を含む71個の星と、現代に通じるいくつかの星座の原型が存在している。 カルデア人が新バビロニア王国を建国する以前である。(大英博物館所蔵)
現代に通じる星座の起源がメソポタミア文明にあることは、間違いのないところです。 そして、多くの書物やプラネタリウムで、「この地域のカルデア人の羊飼いたちの星座がルーツ」 という解説がなされています。しかし、この「カルデアの羊飼い説」は修正される必要があります。

野尻抱影氏(1885-1977年) は、昭和初期から中期に活躍した、当時の日本で最も著名な天文家の ひとりです。若いころは、旧制中学校の英語教師として教鞭をとるかたわら、英文書籍の翻訳に 取り組んでいます。氏の偉大な功績は、国内外の星の名前や星座の由来を綿密に調査し、 それら伝承や神話を多数の著作物として世に送り出したことでしょう。 特に、同時期の天文学者山本一清氏と盟友関係にあり、山本氏の設立した東亜天文学会を舞台に 多くの有益な議論を巻き起こしました。これらの優れた著作物は他の追随を許さず、 没後40年を経過した現在でも、重要な天文民俗学の資料として輝いています。現在私たちが 親しんでいる星々の国内外の伝承や神話は、野尻氏の影響が強く残されています。

しかしながら、野尻氏のような巨匠といえども、学問としての裏付けには他からの批判が必要です。 野尻氏の著作物においては、特に海外の引用に対して出典を記されていないことが多く、 検証を難しくしています。氏の記す「現代星座の起源」についても、近年の検証から見直しが必要です。
野尻氏は、「星の神話・伝説集成」の中で次のように記しています。
『バビロニアに、こういう天文の知識を伝えたのは、紀元前三千年頃、 東の山岳地方からメソポタミアへ侵入して、そこに建国したカルデア人であった。 彼らは牧羊の民族だったので、夜通し羊の番をする間に星をながめた。それで星のことを「天の羊」、 惑星を「年寄りの羊たち」と呼んでいた。』
他の著作にも同様に星座の起源を「カルデア時代にある」と紹介しています。
このことは、現代に通ずる星座の起源としての注目すべき記述ですから、野尻氏以降の書籍や プラネタリウムでもこぞって紹介することになったのでしょう。 例えば、学研の図鑑ニューワイド「星・星座」には、星座の歴史として、次のように記されています。
『今から5000年もの昔、チグリス・ユーフラテスの両大河に挟まれたメソポタミア地方で、 羊の群れを追って生活していた、古代カルデアの人々がいました。彼らは一晩中星々をながめ、 めぼしい星のならびを動物や人間の姿に見立てて星座のすがたを作り出しました。』
しかし、現代の西洋の図書を調べても、「カルデア人の羊飼いが星座を作った」 の記述はなかなか見当たりません。これはどうしてでしょうか?
そもそも、カルデア人がメソポタミアの碑文の中に初めて登場するのはようやく紀元前9世紀頃で、 新バビロニア王国を建国したのは紀元前625年です。これは古代メソポタミアの末期ですので、 二千年以上も時代が異なります。
R.H.ベーカーによる「星座の紹介」(初版1937年)には、『現在に通じる星座の成立は、 紀元前三千年頃、チグリス・ユーフラテスや周辺の地域に住む、羊飼い,砂漠の遊牧民,海人,学者 らにより作られていった。』とあり、羊飼いに限定していません。 紀元前三千年頃、メソポタミアに住んでいたのは、セム系民族のシュメール人やアッカド人です。 ブリタニカ国際百科事典によると、『彼らは恒星全体を「天の羊群」と呼び、太陽は「老いた羊」, 七つの惑星(注1)は「老いた星」であり、星にはみなある「羊飼い」がついていると考えていた。』 とされており、これにも「羊飼いが作った」とはされていません。 「羊飼い」は、あくまで星空にあるものだったのです。 おそらくは、野尻氏はこれらを誤解した可能性があると思われます。

(注1) 七つの惑星:当時は、太陽と月も惑星と考えていました。これに水星,金星,火星,木星,土星 を加えた七星を惑星としていました。しかし、この記事では直前に太陽について記されていますので、 「六つの惑星」の誤りと思われます。


※ 出典,参考文献
月刊星ナビ 2018年5月号 「エーゲ海の風」 (早水勉)


更新履歴
2021. 1.7 初版掲載


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