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現在、いて座はほとんど疑いなく半人半馬のケンタウルス族の賢人ケイローンとして紹介されています。 ケイローンとする説は、日本だけではなくヨーロッパを含む海外でもすでに広まっています。 しかし、古代ギリシアにおいては、ケンタウルスまたは牧羊神サテュロスとする記述はあっても ケイローンとすることはありませんでした。
11世紀に制作された天文学テキスト。 フランス・リモージュ地方でラテン語で記されたもの。7時方向のいて座は二本足で 描かれている。(ウェールズ国立図書館所蔵) |
星座研究家の Ian Ridpath氏(英)は、いて座をケイローンとする伝承は後世に誤解が広まったものと指摘しています。
古代ギリシアの詩人アラトス(Aratus 紀元前315年〜240年頃?)は、いて座が誰であるかについては何も記していません。時代を下って、
エラトステネス(Eratosthenes 紀元前275頃-紀元前194頃)とヒュギーヌス(Hyginus 紀元前64年頃〜西暦17年)は、
この星座を半人半馬のケンタウルスとすることがあると認めつつも、そうではなく、牧羊神サテュロスであるとも記しています。
サテュロスは下半身が二本足の山羊で、上半身は人間という下等神の一族で、森や山でニンフたちと遊んで暮らし、
酒神ディオニュソスの従者達としてもたびたび登場します。やぎ座のモデルとなっている牧羊神パーンも
サテュロスのひとりと見なされることがあります。
ヒュギーヌスは、「多くの者はケンタウルス、他の者はサテュロス」とする両方の意見があるとして、
サテュロス説の根拠にはケンタウルス達は矢を使用しないことを挙げています。
そしていて座は、女神ムーサの母でもあるエウペーメーを母とし、牧羊神パーンを父とするサテュロスのクロトスであるとします。
クロトスは、弓を発明した狩人で、ムーサたちの願いによってゼウスがクロトスを星にしました。
いて座の足元にある花の冠(みなみのかんむり座)は、クロトスが競技の際に脱いだものと伝えています。
前述のように、いて座をケンタウロス族の賢人ケイローンとする後世の説は、日本だけではなく海外でも広範に広がっており、
もはやこのまま定着してしまうかもしれません。その一方でサテュロス説が語られることは廃れていきました。
実際に、星座絵が盛んに描かれるようになった15 世紀以降の星図のほとんどに二本足のサテュロスではなく、
四本足のケンタウルスが描かれています。これに先立つ、ペルシアの天文学者アル・スーフィー(AD903〜986 年)による
『星座の書』(964 年ごろ)に記された星座絵でも四本足のいて座が描かれています。
黄道星座でもあるいて座は、さまざまの場面で話題になる機会が多い星座です。
筆者は、パッとしないクロトスの神話よりも、物語として重厚なケンタウルス族が、またその関連でケイローンの物語が
選択的に語り継がれた結果ではないかと推測しています。
なお、ケンタウルス族のケイローンをモデルとした正統な星座はケンタウルス座です。
(注1)わずかに、古代ローマのニギディウス、セネカ、ルカヌス等が述べている例がある。
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