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 星座の神話 定説検査(4)

天馬ペガススに乗るペルセウス



まとめ

天馬ペガススに乗る英雄ペルセウスの姿は、古典神話には存在しない。 古典神話において、天馬ペガススの主人は英雄ベレロフォンでした。 1317〜1328年のフランスの「道徳的なオウィディウス」に書かれた神話が誤解を生んで、 天馬ペガススに乗るペルセウスの姿が発生しました。


検証・考察

キマイラ(中央)と戦うベレロフォンを描いた古代の壷絵(BC575-BC550頃)。 ギリシャ、ロードス島出土。ベレロフォンは有翼の天馬ペガスス(右端)に乗っている。 (ルーブル美術館所蔵)
海の怪物ケートスの生贄にされるため、岩につながれたアンドロメダを怪物が襲おうとしたその時、 天馬ペガススに乗った英雄ペルセウスがやってくる話はよく知られています。 しかし、ギリシア神話において、天馬ペガススはこのシーンには登場していないことをご存じでしょうか。 「えっ」という声が聞こえそうですけれども、「天馬ペガススに乗る英雄ペルセウス」は、 ギリシア神話の成立した古代ギリシアどころか、続く古代ローマ期の古典作品にも存在していないのです。

古典期の神話では、一貫してペルセウスは伝令神ヘルメスから授けられた空飛ぶサンダルで飛翔しています。 古典神話の末期になる古代ローマ詩人 オウィディウス(Ovidius BC43年〜AD17年または18年)の 「変身物語(Metamorphoses)」には次のように記されています。

オウィディウスの「変身物語」より
ペルセウスは、翼のついたサンダルを取り上げて、両足に結びつけ、鉤なりの剣を腰につけると、 足の翼を動かして、澄みきった大気を分ける。無数の国々が、あたりにひろがって、 眼下に置き去りにされていく。やがて、ケフェウスが支配するエチオピアの住民と田舎とが視野に入る。 ここでは罪もないアンドロメダが、神アムモンの命令で、不当にも母親の暴言を償わされていた。 乙女が荒い岩に両腕をつながれているのが、ペルセウスの目にうつった。

また、天馬ペガススを駆る主人はペルセウスではなく、コリントスの英雄ベレロフォンで、 彼は天馬ペガススに乗って怪物キマイラを退治したり、アマゾン族の侵略を撃退するなどの活躍が 神話となって伝えられています。新興の英雄ヘルクレス以前の古代ギリシアにおいて、 ベレロフォンはペルセウスと並ぶ有力な英雄像だったと考えられており、 世界最古の文学ホメロスのイリアス(BC8世紀頃)にも記されています。イリアスには、 ペガススとの関連は記されていませんが、古代の壺絵やその後の神話作品に天馬ペガススを駆る姿が描かれています。

ヒュギーヌス(Hyginus BC64年頃〜AD17年)の「神話集」より
キマイラは体が三つに分かれ、炎を噴き出すといわれていた。 すなわち、頭はライオン、下半身は蛇、胴体そのものは山羊である。 ベレロフォンはペガススに乗ってキマイラを殺し、(以下略)

アポロドロース(Apollodoros AD1世紀頃)の「ビブリオテーケー」より
このキマイラは、ホメロスも言っているように、アミソーダロスによって飼育せられ、 ヘシオドスの語っている通り、テューホンとエキドナとから生まれたと言われている。 そこでベレロフォンは、その持っていたメデューサとポセイドンから生まれた有翼の馬ペガススに乗り、 高く飛翔して、その背からキマイラを矢で射倒した。

「ペルセウスとアンドロメダ」キャバリア・アルピーノ(イタリア 1594-1598年)作。 このテーマを扱った絵画作品としては最も古い時期のもの。 (オーストリア美術史美術館 所蔵)
それでは、いったいいつの時代からどういう経緯で「天馬ペガススを駆るペルセウス」 の姿が神話に登場するようになったのでしょうか。 管理人が調査したところでは、1317〜1328年のフランスで書かれた作者不明の 「道徳的なオウィディウス(L'Ovide moralise)」に、初めてペルセウスとペガススの関連が記された と考えられます(※1)。 この書は、古代ローマ初期の作家オウィディウスが記した変身物語を、 王室の教育目的に多くの改変を加えた作品です。この書には、ベレロフォンとペガススの挿話に続けて ペルセウスの挿話が記されました。この書に記された2つの神話の間には多くの誤りが見つかっており、 この誤解がルネサンス期の絵画作品に影響を与え、神話の混同を招いたと推定されます。

このアンドロメダ姫の救出のクライマックスシーンは、ルネサンス期のキリスト教社会にとって とりわけ人気を博した題材となり、多数の絵画作品が描かれています。管理人の調査した範囲では、 最も古くはキャバリア・アルピーノ(Cavalier d'Arpin 1594-1598 イタリア(※2))による作品まで さかのぼることができました。 天馬ペガススに乗るペルセウスの姿は、この時期以降ヨーロッパ社会に定着していったのです。

※2:アルピーノの別名ジュセッペ・チェザーリGiuseppe Cesari で記されることもあります。


※ 出典,参考文献
(※1) フランス語版Wikipedia「L'Ovide moralise」
月刊星ナビ 2020年11月号 「エーゲ海の風」 (早水勉)


更新履歴
2021. 1.7 初版掲載


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